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井 伊 美 術 館
当館は日本唯一の甲冑武具・史料考証専門の美術館です。
平成29年度大河ドラマ「おんな城主 井伊直虎」の主人公直虎とされた人物、徳川四天王の筆頭井伊直政の直系後裔が運営しています。歴史と武具の本格派が集う美術館です。
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※当館展示の刀剣類等は銃刀法に遵法し、全て正真の刀剣登録証が添付されている事を確認済みです。


のんき者の近況(新・彦根藩侍物語ページ作成準備中…)
只今先年刊行した『井伊直弼史記-若き日の実像-』の続編に続く『井伊直弼史記-大老の真実-』を執筆中であるが、併せて彦根井伊家を藩屏筆頭の雄藩に育て上げた井伊直孝の創業記を、軍事史を中心にまとめようとしている。 これは未発表の戦時資料が尨大に現存するので、この記録解説集成である。 既刊『井伊軍志』の続編でもある。拙子の余命と現存する関係重要史料の大群との決戦である。これは大げさな表現ではない。懸命にやらなければならないのに、こんなことを書きながら私はのんびりしている。自分で自分をみてもそう感じる、焦る気持ち、追い立てられている気分は全くない。天はまだ生きる力を支えてくれるらしい。これは不思議である。八十四歳になんなんとしているのに・・・。 しかし時に、妙に居心地の悪い椅子に座ったままでいるような、落ち着かない気持ちを感じることはある。およそ三百年間陽のもとに明確に示されたことのない数万の侍たちの魂魄が、この今の時々一瞬の間にも明減しては消えてゆく。急ぐべきであろう。そうだ急がなければならない。——とまれ頑張ります! まずとりあえず、旧著『彦


前後截斷録更新&新コーナー「歴知一言抄」 開設
暑熱漸くひと段落でしょうか。 お盆の頃はたくさん来館のお問い合わせを頂きました。 比較的開館ができるタイミングと重なり、結構な数の方に観覧いただけたかと思います。 前後截斷録第83回「長曽根浜へ」更新のお知らせならびに、 ならびに甲冑や刀剣、侍の所作など”ちょっとした”ことをちょっとだけ伝えるコーナー 「歴知一言抄(れきちいちごんしょう)」が始まりました。 さむらいの坐り方、鎧の面頬の効能、兜の緒。細かいけれど大事であった箇所を拾ってゆきます。お楽しみに。 掲載予定項目: ①母衣の話 —井伊家・広瀬左馬助の白母衣 ②侍の坐り方 ③よろいの素材 ③兜の緒(紐)のこと ④兜の前飾り(前立)について ⑤面頬の効用 以下随時 前後截斷録は、長曽祢虎鉄が作刀した、と伝わる長曽根の井戸に関する思い出話やいろいろです。写真を追って追加予定。お楽しみに。 長曽祢虎鉄、長曽根派に関する記事はこちらにも。 前後截斷録 第77回 伝・虎徹の前立から思うことなど。


井伊直弼史記 「大老の真実」特設ページ公開
順次内容追加してまいります。「大老の真実」現在鋭意執筆中です。 「井伊直孝軍記」に併せ井伊直孝特別コーナーも準備中。井伊直孝の味のある文書類も公開予定です。


『井伊直孝軍記』執筆経過(一)稿初現状
霜辛雪苦の内に佇む六地蔵尊をあとに、赤甲を纏いし井伊の軍勢は朔風を冒して馬首を西に大城を目指した。 大坂冬の陣、後世一般呼称化した真田丸が目近になってきた。井伊直孝が藩主井伊直継に代わって陣代となり、宇治において彦根惣事を請取り大坂攻めに向かう。 井伊軍先手木俣右京守安、庵原助右衛門朝昌、後備川手主水景倫、軍監岡本半介宣就、総軍六千と公称。——


撮影風景 「テレビ朝日 時代超越!タイムレスランキング 好きな戦国武将ランキング」
先月1/5放送の 「テレビ朝日 時代超越!タイムレスランキング 好きな戦国武将ランキング」に艦長が出演しました。井伊直政の刀や、徳川家康より拝領した薬が登場しました。その撮影風景です。


令和七年 歳末近況
只今既著『井伊軍志』に続く『井伊直孝軍記』を執筆中です。前著は書名の如く軍事史を中心に井伊家中興初代井伊直政の生涯を忠実に描いたものでした。現執筆中の直孝軍記も、書名のままに直孝に係る軍事誌、当然大坂陣が中心——になりますが、 著者自身としてはこれを徹底的に、史料と心中のつもりで闘記しようと思っています。 またもひとつ、同時進行ですが『井伊直弼史記—若き日の実像—』の続編、『直弼史記—大老の真実—』にもかかります。叶うれば明年両著完成と行きたいところですが、はて、どうやら。やっぱ、ムリかな!?両方とも結構な大冊なる気配です。特に軍記の方は・・・。 まず懸からなけりゃ、おはなしになりません。とにかく目指します。下手に一冊抜き取るとなだれのように滑り崩れてくる資料や古文書と果てしない斗いを繰り返しながら・・・。 来る年を迎えると84歳です。井伊兵部少輔直政以来の歴代長命者Best3をアダにしてはなりません。 令和七年十二月三十一日 夕景西山を眺めつつ。 書庫で史料探索中に立ち読み・・おっ、寒い! 居間の一部が今や書斎。数年前ここで『井伊直弼史記 若き


泰安様へ御供物
先日八日市に所用あった序でに、彦根の小宅へより庭の柿木に生った実幾ばくかをもぎとって帰り、 当美術館にお祀りしている泰安公神像に供えました。 泰安というのは井伊直政の法号、祥壽院殿清凉泰安大居士です。


前後截斷録 第82回宗安寺さん、そして木村重成首塚に係って・・・
(一) もう一年以上も前になる。昨年六月ごろ、 佐和山城址散策を幸便として宗安寺さんを訪れることにした。御住職は竹内真道老師(老師と書いたが御老齢ではない。尊称である。念のため)である。初対面であるが、竹内住職は拙著『井伊軍志』を読んでおられた。嬉しい事である。 数年前、とある人物が大坂夏の陣で討死した井伊家先手の武将・川手主水の墓守を僭称し、この侍の墓地に歴史事実を歪げた看板を立てた。このことに気がついた私は駭いて「河手主水の墓をめぐって、-創作された墓守の美談-」をただちに公表した。その稿中においてはいまだ未発表であった事共も含めて、まったく詐略的な歴史の変更捏造が行われていることを書いた。三年前のことであった。 どのみち私はこの自称墓守なる人物の欺瞞的行跡を記したところで、地元の人々にはなんの反応もしないだろうと諦めていた。確かに事実は私の思っていた通りであった。一部の史学者たちは明瞭な同意を示してくれたが、南川瀬の田野は無風であった。 ところが驚く勿れである。昨年の春頃、この史的事実も根拠も何もない手前勝手な「墓守」の看板が取り払われたの


更新 前後截斷録 第81回偉人・敗北からの教訓 『井伊直弼・桜田門外に散った辣腕の大老』
——去る六月、上記の件で取材があり、8月23日にオンエアされた。歴史番組に於ける大抵の取材は、論者の云いたい肝腎のところを見事にスルーすることが多いが、今回はそのような例にくらべるとよく理解して編集されたものと思えた。僭越ながら番組担当者の方々の歴史のことがらの理解、制作能...


本日放送です。『偉人・敗北からの教訓 井伊直弼・桜田門外に散った辣腕の大老』
本日放送です。『偉人・敗北からの教訓 井伊直弼・桜田門外に散った辣腕の大老』 直弼は己が表に立つことは生涯ないと諦めていた埋木舎時代からは想像もしなかった昇進栄達の道を歩みましたが、その果ては三月の雪の朝でした。 道程に散りばめられた品々とエピソードについて話しました。20...
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