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井伊直弼史記
​「大老の真実」

井伊 達夫 著

発表初出〜令和八年五月

お知らせ

R8.5.5      特設ページ公開

        序文公開


 「井伊直弼史記―大老の真実―」 


私が井伊家中中興の祖であり、かつ徳川四天王の第一に称せられる井伊直政の軍事を中心とした一代記ともいうべき『井伊軍志(限定1000部)』を刊行したのは平成元年(一九八九)六月のことである。これは井伊家の歴史に初心の十六、七歳の頃から胸中に萌した私の大きな夢の実現の一端であって、そのもとは当時季刊発行されていた滋賀県の文化誌である「湖国と文化」に連載したのがはじまりであった。これが一回原稿用紙約五十枚で年四回であるからざっと二百枚、書き甲斐のある仕事であった。
はじめの執筆企画を『井伊軍志』より引用してみる。私は大きなことを言っている。これが昭和五十三年(一九七八、)の確か一月のことであった。当時私は井上靖選になる北日本文学賞を得て間もない頃で、何か聊かでも後世にのこる研究的歴史物を書きたいとなかば意気込み、なかば理由もなく焦っていた。そして発起したのが前期の井伊軍志であった。

————「井伊軍志」は全体を次の四編で構成する。
  (一)乱世創業編
  (二)偃武確立編
  (三)昇平守成編
  (四)動乱瓦壊編

  (一)は初代井伊直政よりその嫡子でのちに安中へ移封された直継(直勝)に至る乱国期、慶長末年まで。
  (二)は彦根藩確立者である直孝よりその子直澄に至る元和〜延宝の時代
  (三)藩中興の英主といわれる直興より、直弼の父直中に及ぶいわゆる泰平期
そして(四)が最終目標の直弼を中心にした幕末の動乱瓦壊期。

  つまり当時私には右のような壮大な(?)執筆企画があった。そのうち井伊家軍事史中の第一編は連載完了したので、これを上梓したのが前記『井伊軍志』であるが、連載から一本に仕上げるのに十年以上を要した。
  そして『井伊軍志』の続篇ともいうべき「偃武確立編」に気分としてすぐにでも取懸りたかった。しかし世渡り上の仕事に多忙で、なかなかその緒につくことさえできなかった。そして数十年を経過した今、まことに少しずつではあるがゆるゆると書き継いでいるのが実情である。


  これに重って私の心に時効のない債務のように滞留していたのが『井伊直弼史記-若き日の実像-(2018年刊限定1000部)』に続く幕府大老として(、、、、、)の井伊直弼伝の執筆である。


  直弼の伝記に関してはその生涯の前半を先述の『井伊直弼史記-若き日の実像-』として公刊したが、重要な直弼の後半生の大老の真実のところは書き上げていない。


  つまるところ、井伊直孝及び直弼に係る私の仕事の現状は『井伊軍志』の続編である『井伊直孝軍記』及び『井伊直弼史記-大老の真実-(仮題)』の二本が未了という状態なのである。井伊家中興初代井伊直政を書けば、その遺鉢を嗣いで井伊家を盤石の地位に置くことを果たした井伊直孝を書くべきであり、若い苦節の候を忍び抜いた直弼を書けばかれの大老期のことを書かねば片手落ちとなる。この二書は私のライフワークでもあるから何とか元気なうちに仕上げたい。両書執筆のための重要史料、新発見史料は半世紀以前から採集したまま更に山積の状況である。


  井伊家の歴史が渦巻く私の周辺の状況はざっと以上の如くである。この資料の雑閙に埋もれていると、時に自分がいまどこにいるのかわからなくなってしまう。「井伊家史料」の群中に紛れ私自身その行方を見失ってしまうのである。


  というわけで本書「直弼伝」では、その人生の後半の部分、特に「直弼と大獄」において既に公表された関係書とは異なる真の底の部分を誌しあげたい。大方の幕末彦根藩研究家が、あいて真の研究理解を怠り真実を避けて通ってきた道である。或いは既成の直弼の英雄像崩壊を畏れ『小説花の生涯(舟橋聖一作)』的直弼像、つまり英雄伝説譚を保守しようとする歴史因循家の怠慢というようなところをを明白にしたい。
私はこれまで一般史家が信用しこれを演述してきたいわば偽作といってもいい大老直弼の公務記録である、通称「旧彦根井伊家伝来公用方秘録」の真実本を自分の収蔵文書中から発見、これを公表し、幕末政治の厄介な部分を、直弼の心情に基づいて考証紹介してきた(『井伊直弼史記 若き日の実像』(平成三十年八月刊)。しかしこの真実を知らずいまだに旧態のままの『公用方秘録』を幕末史における聖書のごとく扱っている学者方もいるそうである。お笑いだが、以前右様の史料本の存在も知らない歴史学者を装った風の女性がメディアで妙なことを宣っていた。これは困ったものである(『公用方秘録』についての詳しい解説は前の冊『井伊直弼史記-若き日の実像-』を参照されたい)。


  とまれその他にも未発表の史料はまだまだあり、幕末史における直弼及びかれに係って重要な働きをなした人物についても本当のところを書かなければならないと思うのである。
幕府終焉の幕引き役を「最後の大老」として「路上横死」という意識なき名演技で演じ終えた「井伊直弼」、この稀有な生涯をもつ「時代の主役」「大立物(おおだてもの)」を、真正の眼を以て眺め、一切の既成概念から釈き放して書き上げたい。これが前著『井伊直弼史記-若き日の実像-』に続く本書『井伊直弼史記—大老の真実—』執筆の動機である。その目的が果たせたら私の聊かなる本懐も遂げられたことになろうか。


令和八年五月吉辰
 

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序文
主な内容

井伊直弼のこと 
                   -書き出しに際して-

 いま、なぜ井伊直弼なのか。時代は大変動期に突入しました。時代そのものの様相は様々な点で当時とは異なりますが、いまわれらが直面している状況と幕末動乱期とは極めて相似た雰囲気を帯びてきています。第二の維新幕開けの胎動は既にはじまり、我々は大動乱期を迎えることになりそうです。激動波瀾を生死した直弼とその時代を考えることこそ現在の我々を考えることになろうと思います。
 昨年の展覧会では「戦国」をとりあげ、昔にくらべるに当今の無気力と閉塞感―泰平の延長気分―は、「時代サマ」を退屈させるとして、わが国が早晩迎えることになるであろう危機を戦国になぞらえ語りました。これはある意味、予言的に気の毒な悲劇の現前として当ってしまったような気がしますが、当らなくてよい予感が不幸にも当らずともよいところに当ったような気配で、今更ながら切実な無常を感じると共に、不幸に便乗する俗衆の偽善の多いのにもあきれます。問題はそこで終ってはいません。始まりです。
 まだこれから同様の悲愴が日本を襲うのではないかという不安にかられます。明日は実際、我身の番かも知れません。そういう予知不能の世界に私達は生きているのです。もはや泰平の時代は終焉しました。いかに生きるか、そして死ぬか、一寸真剣に考えこまざるを得ません。かく言う私は70歳に足を突っ込んだ老人ですが、決して老人とは思っていない、楽観主義の男です。

 

(展覧開催の辞より)

井伊直弼 絶筆

 井伊直弼のこれ迄の評価はいってみれば極端です。「偉人」か「国賊」か、「先見性に富んだ決断の人」か「単なる保守反動家」か。そのレッテルはおよそ単純、単色であるといった方が近い。直弼について語る場合いろいろ説明や、つけたりを要するけれども、まずは天才でも偉人でもない「普通の人間」であったというところに、人物観照の基軸をおく必要があるのではないでしょうか。かれの生涯と行蔵を分析検討するのはそれからのことのようです。

 これ迄直弼の資料や伝記類は一通りみてきたつもりですが、おおむね史料の羅列はふんだんにあっても、人間が立ち上がってこないものが多いのはなぜでしょう。直弼自身の体臭を感じるものがない。単なる史料集とは異る伝記類にはその人物の息遣いが出てこないといけないと思うのです。いかがなものか。このこと容易でないことは承知の上でいっています。

 直弼を主人公にして有名になった小説に舟橋聖一の『花の生涯』があります。物語は直弼の悲劇の人生を桜花の散るが如くに描くことによって、ひとつの仮想の花を咲かせました。しかしそこには真の花はない。これは小説だから当然でもありましょうが―しかし特別にすぐれた小説は史実よりもより一層その人間をきわだたせ明晰に写し出す。虚構が真実を超える場合もあることを忘れてはいけないと思います―、直弼の生涯の実像をあたかもそのごとくに描いたものは小説は勿論史伝類にもないと思えるのです。

 左様なことをいいながらかくいう私も、直弼を考えて数十年もたつのに伝記には一歩も踏み出せないでいます。直弼についての書きものは過去にいくらかものしてはいるものの、片々寥々たるものです。そんな者が一人前の口舌を弄す資格はない。内心の正直なところはそうであり、また同時に忸怩たる思い大であります。

 日まさに西山に没せんとして、日々徒らに焦るのみのこの頃、せめて聊かでも直弼の実像を知りたい。知ってもらいたい。また、少しでもなまみの直弼について考えてみたい。従来ともすれば極端に偉人化あるいは悪人視された直弼像の本格的見直しの契機、考え直す動機が萌せばいいという位の気持ちが正直なところです。この累年の思いをささやかながら、とりあえず小展を以て心中の冀願、寸分を果しておきたいと思います。ここでは虎を描こうと思ってはいません。結果が猫に類しても構わない。おのれのつとめの少しでも果せればいいという存念です。

 直弼は日米条約を無勅許で強行し、反対派を弾圧、大獄とよばれる大量の血を流しました。前者については徳川の屋台骨が緩み、内外多端に際し幕政のトップにあるものとして不逞の徒に鉄鎚を下した。その行為は正義の実行であると信じたかったと思います。後者については決して直弼の本意ではない。政治的処置の道筋に厳然とした信念が、急流中の巖石の如き不動の覚悟が、絶対的に懐かれていたかとなるとむずかしいところです。条約締結の時、近臣に手ぬかりを指摘され、責任の重大さにおろおろし、この上は大老を辞任せねばというのを側近に叱咤されて立ち直る―こんな姿は従前の歴史では判明していなかった事実であり、実の処事情あって公にしなかった、否できなかったことです。そのディテールは長くなるので端折りますが、要するに本当のところは人一倍責任感の強い正義の人でした。それだけに小心翼々で、大胆不敵、剛毅からは程遠い気性、開国も外圧に対するやむ事なき処置であり、真の肚裏は富国強兵ののち、再び祖法に国を戻すというのが実現の可能性迄は詮索しない上での本音でした。当時、反対派である越前の橋本左内あたりは朝鮮、満州、モンゴルを植民地化し、アメリカあたりにも領土をもたねば日本の独立は覚束ないと云っている時代です。攘夷の実行不可能を体感しつつも攘夷派であり、開明進取の人ではありませんでした。 若い時には恋に悩み、養子試験には落ち、国学や好きな芸道には一途ながら身の短才を歎き、一族富裕の徒輩を羨み、かつ、嘲笑し、常に冷え症と頭痛その他の痼疾を抱えて、貧乏暮らしを喞つ。何やかや嫉妬し立腹し、世外にいて身静かならんと欲せども、好きな柳のようにしなやかには順応できずイライラし、もうどうしようもない―という境遇でした。運命はしかしそんな直弼に想像もつかない逆転の栄光の座を用意していたのです。

 実に天なり、命なりだと思われますが、殆ど古衣ばかり着て豆腐一丁の値段まで通じているような人物が大藩の主となると、公私における反動が大変どころでないことは容易に想像されます。普通の人でなくなったのです。あとは格式と先例と、すぐれて有能だが同時に実に有害な側近に取り囲まれて、「大老」という大看板を背負わされのっぴきならぬ舞台に立たされてしまうことになってゆく。直弼は本音では茶や歌や土をひねって生きて行きたかったにちがいありません。政治の泥沼に踏みこんで喘いでいる直弼の姿が夜半の夢にあらわれたりするのは辛いものです。 大略して直弼は芸術家としてはともかく一流でした。しかし政治家としては純粋朴直にすぎた。まさかおのれの首が人にとられるとは―。これもまた天命といえばそれまででしょうが、その直前の心理は恐怖と戦慄という言葉ではあらわせられないものであった筈です。直弼もまた人の子であり、ふつうの人間でした。根本は我々と変らない普通の人間であったと、まずはそういうところからはじめたいと思います。

 以上本展開催のことばとしては不確かで不十分なことばですがスペースの関係もあるのでこの辺で切り上げます。蛇足ながら識られた古歌を藉(か)りてこの頃の心懐を少々。

          わきて見む 老木は花もあはれなり

                   今いくたびか 春にあふべき
 

(平成24年度特別展より)

 これまで「剛毅果断の人」と観念的な偉人に固定化されてきた「井伊直弼像」は正しくありません。「開国の英雄 井伊直弼」はいかなる人物であったのか。従来の直弼賛美伝記の主なものは改ざんされた史料を母胎に英雄像を産出成長させ、その上に「至誠の人」という聊か気恥ずかしくなるような原色の衣装を着せて作りあげた郷土の偉人伝記類に人物認識の基本をおいて大抵が書かれてきました。また一方に、無断条約締結、大獄等の処置を肥大化させた国賊、極悪人像が根強く存在しています。いずれも直弼自身の与り知らぬところで虚飾された別の直弼像が作り上げられ、それを一般は信じさせられて来たのです。この虚像を修正しなければならない。そう思いつつ周縁の状況や私自身の怠慢、多忙に取り紛れおよそ40年余り―、思いは肚中に淀んだまま今日に至りました。考えたくもありませんが、この秋には古希を迎えます。もういい加減何とかしないと手遅れになってしまう。本当は井伊直政の伝記である旧著『井伊軍志』(1989年刊)のような厚みあるものに仕上げるのが目指すところでしたが、時間的に余裕がありません。とも角、小冊でもいいから直弼の真影を追った書き物を遺しておこうと思います。史料の羅列やさかんに註釈をつけるのは好きではないので採用しない方向で、叙述の部分によっては厚薄平均を欠きますが窮屈でない気楽なノンフィクション史話に仕上げるつもりです。歴史における人間の裸の現実の姿を「井伊直弼」という希有な生涯を送った人の上に直視してみたいと思います。

                                  (平成24年9月 著者)

井伊直弼 練習用居合刀

本文抜粋

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