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歴知一言抄

Reki chi itigonsho

 やや大袈裟に言えば、歴史と武具に係って70年近く生きてきた。そこで得た知識の多くは、雑学に類するものではあるが一言でも云っておけば、どこかで誰かの、関わりのある同学の士の役知に立つ一事が隠されているやも知れない。そのような一事の指摘は些少ではあるが、歴史の誤解糾明の糸口になり得て歴史の案内に有効な働きをするかも知れない。いずれにせよ中味は簡略、一言放談である。どんなものになるやらわからないが、ま、やってみよう。順序不動御免候——である。思い立つままに。——尚表題の「歴知」は「歴痴」にも通ずる謂いであること言を俟たない。古典に確か——「一言芳談抄」——というのがあったやに思って、そのひそみに倣ったタイトルであることはこれまた言を俟たないこと勿論である。

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①「母衣」について

 うちの学芸主任が、戦場で侍が用いる母衣の用途について、東海地方の有名な博物館の学芸員が、敵の矢を防ぐためのものである説明をしている旨を云って、いまだ江戸時代軍学者の化石的説明をしていると笑って聞かせてくれた。「化石」ということばは至当を得ている。監軍の仕事も含まれる。
 母衣は一般的にわかりやすくいえば伝令将校であって、本陣と前軍との間を往返して進退の指示その他命令を伝えたものである。
 その他には「名誉の母衣」というものがあって、対象から先祖が特認された母衣を負う由緒を引き継いだ例がある。井伊家大阪陣における広瀬左馬助の白母衣のごときは、先祖が武田信玄から特認されたもので、これを引継ぎ用いることを条件に左馬助は広瀬美濃守(旧武田衆)の養子になった。この白母衣の責任ゆえに、左馬助は夏の陣で戦死するのである。一寸多言しすぎたかも。——
 掲出されたカットは井伊家石居半平の赤母衣、鬼灯形である。

彦根藩井伊家歴代肖像画.jpg

②侍の坐り方

 上記の件については、かつて津本陽氏(直木賞作家)と対談の折話し合ったことがある。一般に当今の江戸時代劇では正座をしている。これが実は間違っているのではないかと云ったら。津本氏も同意していた。正坐は元来が武士(もののふ)の坐り方ではない。私は桃山時代―茶道の揺籃期はやはり胡座をかいていたと思っている。因みに「正坐」というのは罪人の坐法でもある。

 カットは井伊家歴代藩主像である。衣冠束帯の正装であるが、井伊家家臣物頭組以上の家には大抵この一幅を所持し、ことあるごとに床前に飾ったのである。この坐り方は楽ではなかったらしい。

明智光秀所用紅糸威本小札二枚胴具足(井伊美術館寄託).JPG

③よろいの素材

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④兜の緒(紐)のこと

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⑤兜の前飾り(前立)について

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⑥面頬の効用

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