井伊家貴重資料

有栖川宮幟仁親王第二王女 糦宮・宜子王女の嫁入持参の手道具

有栖川宮幟仁親王第二王女 糦宮・宜子王女の嫁入持参の手道具

有栖川宮幟仁親王の姫君が井伊直憲に輿入れしたときに持参した嫁入り道具で、井伊直愛(旧彦根市長)より村岸健資氏に贈られたもの。 有栖川宮家のものは関東大震災で焼失したものが多いため貴重な品。 (寄託調査品)

井伊直興念持弁財天(写真資料寄託)

井伊直興念持弁財天(写真資料寄託)

井伊直政知行宛行状(慶長6年勝小源太宛)

井伊直政知行宛行状(慶長6年勝小源太宛)

この時期、井伊直政は関ヶ原で受けた鉄砲傷が悪化し署名も不能の状態だった。老臣の西郷伊予守と鈴木石見守が連署して、知行保証し直政の意思代行していた。その故にこの年記の頃の宛行状は井伊直政の名を冠している。 (寄託調査品)

井伊兵部少輔直朗御書(与板藩第10代)

井伊兵部少輔直朗御書(与板藩第10代)

直朗(なおあきら)は与板藩歴代中最も有能な人物で、幕府若年寄をつとめた。本状は歴世の重臣であった小野源蔵に先代同様の知行と役職を保証した書状。 (最近発見の史料で、誤って上杉家の臣色部氏の文書と間違われていたものである。) (寄託調査品)

与板城地変更に関する幕府内許達書

与板城地変更に関する幕府内許達書

先代直朗の宿願であった与板築城について、その意をついだ直暉による与板村との替地の預りにつき幕府が内許を与えたもので、本来は蒲原郡石瀬村の方に築城の予定だった。この間の消息について従来史料がなかったが、その事情を示す貴重な史料である。年時の部分を欠いているが、文政の初年、大体三年頃と推定される。 (寄託調査品)

井伊直弼自筆艶書(村山たか宛)1

井伊直弼自筆艶書(村山たか宛)1

名もたかき 今宵の月は みちながら君しをらねハ 事かけて見ゆ 当時の風儀からみるとかなり強烈な艶書というべきもので、直弼の女性にかかわる恋の手紙としては新発見、唯一のもの。柳王舎主人という雅号からその時期は天保十三年過ぎ、たか女と別れて間もない頃のものと思われる。(天保十三年冬には側室静江ができる。) まだ完全に別れきらない状況で、習いごとの費用の面倒もみていたようだが、恋歌を贈りどうも淋しくてはじまらないと嘆いている。 持病の頭痛がひどく、文章中の二字は一応「困苦」と読んだが「田苦(臀苦・・・痔の隠語)」と解釈した方が文章の前後からは自然である。直弼は痔にも往生していた。茶席に座ることも大変苦痛だったようである。 いろいろ持病に苦しみながらも、女だから慎んで生きるように心配するなど大変気を利かせ、さらには名月によせて彼女を慕う歌の中に「たか」の名を読みこんでいる。なお未練十分の直弼の心情が切々と伝わる書状。 2へつづく

井伊直弼自筆艶書(村山たか宛)2

井伊直弼自筆艶書(村山たか宛)2

かなり周到に準備された内容だが、文字は大変癖字の、本人も書いているように乱筆である。若い頃の独特の「痩せた」文字。直弼は晩年に向かうほど、「肥えた」文字へと変化していく。 時の風習や、特に直弼の立場身分柄から考えて宛先はわざと明らかにされていない。しかしかなりなじんだ間柄で、別れて間もない状況、そして近況の伝え方、歌に女の名をよみこんで恋心を訴えるなど、受取人はたか女以外に考えられない。たか女への手紙は今のところ残存しない。その上艶書なので、直弼の性格を知る上でこの上ない貴重資料といえる。 (寄託調査品)

井伊直安二字書

井伊直安二字書

井伊直安(井伊直弼四男、越後与板藩最後の藩主)が七才で書いたという閑山の二文字。 おそらく父直弼の膝下において手習いの仕上げのような形で書いたと思われ数点存する。 因みにこの年直弼は大老となって幕末志士の断罪にふみこむ。幕末大動乱の幕が切っておとされる直前に息子が「閑山」とはまこと皮肉である。 朱文で直安と彫った小印が捺されているが、字体の意匠は父直弼だろうか。父子の情愛から歴史の浪漫を感じさせる資料。直安は文画に長けた人だが、七才とは思えぬ雄渾な筆致である。 (寄託調査品)

徳川秀忠黒印状 (井伊直継宛)

徳川秀忠黒印状 (井伊直継宛)

井伊兵部少輔(直継、彦根第二代藩主、与板系安中藩祖)から端午の祝儀に帷子等を贈られたことに対する礼状。文中の酒井雅楽頭は酒井忠世。(秀忠附筆頭年寄)本書は諸史歴から推すと、直継が彦根藩主であった慶長十二年以降、安中へ移った大坂陣後の元和末年の間のものとみられる。井伊直継に係る直接的文書が極めて少い現今、貴重な資料の発見といえる。 (寄託調査品)

井伊直継知行宛行状(慶長九年九月十一日付)

井伊直継知行宛行状(慶長九年九月十一日付)

直政の嫡男・直継(直勝)は彦根藩第二代藩主、のちに安中藩初代藩主となった。 これは直継が家士松伊(松居)十三郎へ三百石の知行を与えた時の証文である。 慶長七年(寅の年)、初めて行われた検知の規矩を以て三百石を保証するというもので、数少ない直継の史料として貴重である。 (寄託調査品)

井伊直孝寄進状

井伊直孝寄進状

愛宕山福寿院宛 (寄託調査品)

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