 井伊直弼自筆艶書(村山たか宛)2かなり周到に準備された内容だが、文字は大変癖字の、本人も書いているように乱筆である。若い頃の独特の「痩せた」文字。直弼は晩年に向かうほど、「肥えた」文字へと変化していく。
時の風習や、特に直弼の立場身分柄から考えて宛先はわざと明らかにされていない。しかしかなりなじんだ間柄で、別れて間もない状況、そして近況の伝え方、歌に女の名をよみこんで恋心を訴えるなど、受取人はたか女以外に考えられない。たか女への手紙は今のところ残存しない。その上艶書なので、直弼の性格を知る上でこの上ない貴重資料といえる。
(寄託調査品) |  井伊直安二字書井伊直安(井伊直弼四男、越後与板藩最後の藩主)が七才で書いたという閑山の二文字。
おそらく父直弼の膝下において手習いの仕上げのような形で書いたと思われ数点存する。
因みにこの年直弼は大老となって幕末志士の断罪にふみこむ。幕末大動乱の幕が切っておとされる直前に息子が「閑山」とはまこと皮肉である。
朱文で直安と彫った小印が捺されているが、字体の意匠は父直弼だろうか。父子の情愛から歴史の浪漫を感じさせる資料。直安は文画に長けた人だが、七才とは思えぬ雄渾な筆致である。
(寄託調査品) |  徳川秀忠黒印状 (井伊直継宛)井伊兵部少輔(直継、彦根第二代藩主、与板系安中藩祖)から端午の祝儀に帷子等を贈られたことに対する礼状。文中の酒井雅楽頭は酒井忠世。(秀忠附筆頭年寄)本書は諸史歴から推すと、直継が彦根藩主であった慶長十二年以降、安中へ移った大坂陣後の元和末年の間のものとみられる。井伊直継に係る直接的文書が極めて少い現今、貴重な資料の発見といえる。
(寄託調査品) |
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