※12月記者会見にて発表された『守安公書記』に係る特報は第7回をもって終了します。

花蔵の乱と井伊氏

 今川家の家督争奪戦として知られる「花蔵の乱」に於て『湖の雄 井伊氏』(公益財団法人静岡文化財団)などで井伊氏は義元側に味方したと記されているが、事実は花蔵側(玄広恵探)について敗れ、井伊谷は義元軍によって攻撃され降伏した。義元の井伊氏に対する不信、締めつけはこの乱以来の因縁である。この時活躍し最初に名誉の討死をしたのが雪斎によって京とり戻されていた関口氏経の父であった。

(29.3.16)

​新史料特報⑦

『守安公書記』花蔵の乱に係る部分

​新史料特報⑥

直政の手習いの師 岩間寺の大坊(おおぼう)

 直政は今川氏真の刺客からの逃亡の時、遠州栃窪の岩間寺に匿れ、そこの大坊(おおぼう)という僧から習字を教わった。

 この大坊はその名から巨躯の文武に達した人だったと思われる。直政が家康に仕官した時、この大坊をわざと同行させたという。

 近藤石見守のおじであったが恩人の一人である。尚岩間寺は江戸はじめに廃寺となったがその薬師堂は寛文12年浄居院に移築され現存する。

(29.2.17)

驚くべき井伊直親の女性問題(直親死没の真実)

 井伊肥後守直親はその妻とされる奥山因幡守(親朝)の娘(そうとく―宗徳)がのちの直政を懐妊しているにもかかわらず、彼女を離別し、妻の兄(親秀―奥山家譜では早世したとある。あいだめ(不明)に鹿撃ちに行き鉄砲に当って死んだとある。暴発死であろうか)の寡婦となっている嫁と関係した。これを知った宗徳の父親が怒って直親の家康内通―反逆を今川に訴え、その結果直親は殺されてしまった。日本に爵位制度があった時代迄は絶対に表へ出せなかった事件である。(新発見史料『守安公書記』より該当史料部分掲出の予定)

(29.1.10)

​新史料特報⑤

​左の事件の原文部分(新史料『守安公書記』より)

​新史料特報④

三人衆の真実他

○井伊直政の家康御目見えの手配をしたものは通常いわれている人々ではない。その節の取次は本多平八郎忠勝であった。

○直政の母の兄である奥山親秀の息子六左衛門朝忠が、直政の近習として召し抱えられたとき、直政は朝忠に対し母と絶交する誓紙を書かせた。その裏には悲劇的な直政の母の人生がかくされている。

○井伊谷三人衆―近藤、菅沼、鈴木の三人は一般的には井伊家の味方のごとくに記されているが、決してそうではなかった。たとえ一族であろうと隙のある所へはつけ入る―これが今も昔も変らぬ人間世界の約束である。まして戦国争乱のさなかである。井伊谷三人衆が悪かったわけではない。しかし井伊直政はさすがに彼等を快く思っていなかったから、何事おいても辛く厳しく当った。鈴木を除く二人はやがて直政のもとを離れる。特に近藤石見守は直政生存中は他家への奉公を構われどこへも仕官が叶わず、家康さえもこれを認めていた。家康のもとにある直政の力がいかに大きかったかはこの一事だけをみても十分理解される。勿論鈴木も直政歿後家中で事件をおこし井伊家を追い出される。

                             

                             (平成28年12月12日)

鈴木三郎重家の旗指物

​新史料特報③

苗字不定だった直政と「悪役」小野氏

○井伊直政の父肥後守直親は直政の母の父(奥山親朝)によって今川に内通を密告され殺害された。小野但馬のざん言によるものではない。これには匿された事情がある。直親は大変なプレイボーイであった。

 

○直政は二才の時既に今川に拘束され安倍川に於て処刑が決定していた。それを命に代えて助けたのは新野左馬助である。直政は以後新野の養い子になってそこで育った。直政は初め奥山、ついで新野、そして松下をなのり家康に仕えて漸く井伊に復した。その間井伊氏後継となっていたのが他ならぬ井伊次郎直虎であった。井伊次郎直虎の正体はやがて公にされることになる。

 

○奥山朝利は小野但馬に殺されたのではない。殺害したのは今川氏真の密命を帯びた大村弥兵衛高信である。大村は氏真より感状を十通以上受けた大豪の者であることが傍証されている。それにしても小野氏は一方的な悪役にされている。これは事実ではない。

                                       

(平成28年12月3日)

慶長十二年井伊家知行高

​間違えられた井伊直虎!

わずか壱通しか残存しない直虎花押入りの古文書から始まった勘違い。ところが、直虎は全く別人であった。このタイミングで新発見された新野左馬助縁者の極秘記秘録(全十二冊)が語る驚くべき新事実!

只今執筆中!

                        

(平成28年11月13日)

​新野左馬助親規由緒

​新史料特報②

  「井伊直虎は何者か?!

      -450年目の真実ー」

​新史料特報①

井伊家極秘史料中より発見された井伊直虎の驚くべき実体。
井伊直虎とされた人物は果たして何者だったのか。
今徐々に明らかにされつつある真実。
創作や物語では想像もつかぬ直虎像。
只今執筆中です。御期待下さい。

                           (平成28年10月)

井伊家新出史料のうち本書には関係なき部分(参考)

© 2019 井伊美術館 All rights reserved

京都市東山区花見小路四条下ル4丁目小松町564  TEL 075-525-3921  FAX 075-531-5121

 

C)井伊美術館
当サイトにおけるすべての写真・文章等の著作権・版権は井伊美術館に属します。コピーなどの無断複製は著作権法上での例外を除き禁じられています。本サイトのコンテンツを代行業者などの第三者に依頼して複製することは、たとえ個人や家庭内での利用であっても著作権法上認められていません。
*当サイト内において、「館蔵品」と明記されている資料以外は外部からの調査預託品です。
 預託品の写真類掲載についても、その処置を当館が一括委任されています。
 無断で使用・転載することを禁止します
*当サイト上における当館寄託品等の写真を無断で転用し、架空の売買に利用する人がいるようです。
 インターネットを介した取引の際には十分御注意下さい。
*動作環境、スマートフォン及び携帯電話からの閲覧ではレイアウトが崩れる場合があります。

◆おしらせ
・甲冑武具関係歴史文書史料類考証鑑定致します。

  くわしくは当館までお尋ね下さい。

 (場合によってはお受けできないことがあります。)
・当館では手紙・文書・メールによる一方的な質問等にはお答えできませんので
 宜しく御了承下さい。