たび重なる小和田氏の「直虎物語」に係る誤謬について

○小和田氏の説は完全に『井伊家伝記』にたよりきっている。そして新史料の批判はあるが、自身がつかう史料に対する批判的思考がない。『井伊家伝記』は典型的な物語二次史料であり、肝腎の直虎という文字は全く登場しない。
新史料の批判として直虎という名前が出てこないことをあげているが、小和田氏が根拠とする『井伊家伝記』にも直虎はでてこない。そして、蜂前神社の文書には男名の直虎と書して女はすえない花押がある。これを女性である直盛の娘が書いたと解釈するのには相当強力な根拠が必要となるが、小和田氏は自身の説の根拠を明らかにはしていない。検証が一切ない。なぜなら、この直虎=井伊直盛の娘は証明ができない状況にある。

○井伊によって新発見されたものが二次史料であるから信憑性が低いと言い捨てるのはとても簡単なことである。近頃は江戸時代につくられたものであるなどと、歴史に無知な人を容易に信じさせるための言辞を弄されている。江戸時代に書かれたものであるから作られた嘘話だと最初から決めこんでしまうようではそこに真の歴史研究はない。その調子でいえば氏が自己説の拠り所としている『井伊家伝記』などは最も信用ならぬ書き物のひとつということになる。ところが氏の直虎女説の根本は『井伊家伝記』ひとつであり、氏はそこから想像のハネを勝手に伸ばして、本来今川の若き武将であった直虎を無責任にもくっつけてしまったのである。戦国時代のことを研究する時に一次史料のみで果たして研究が進むのかどうか疑問である。二次史料を読み解くことでわかることは無いと言い切れるのだろうか。二次史料を一次史料と分けて使用しなければいけないことは、大学一年生でもならう基本的なことだが、小和田氏はさらに飛んで二次史料を全く無視するように大学で教えているのだろうか?二次史料といえど、使用方法を間違えなければ大いに役にたつ情報を得られるし、今回の新史料のようにその記録中にある文書の原本すなわち氏の強調するところの一次史料が多く現存する状況から考えれば『井伊家伝記』と同列にみるものではないこと位、氏は承知している筈である。承知の上で、知らざる人を更に史的に欺いていかれるのであろうか。あるいはそうではなくまことに御存知ないのか。いずれにせよ、その対応は真摯さが欠如している。歴史学者として最も大切なものは過去の物事を正眼でみて、そこから真実を剔出する精神である。眼光紙背に徹し、単に徹するのみではなく、そこを愛情をもってふりかえることではなかろうか。小和田氏のように二次史料である『井伊家伝記』にかかれた直盛の娘である次郎法師が、女にこそあれ井伊家を救う英雄となったという『井伊家伝記』中のフィクション的台辞を、そのまま自身の説に引用すること少なくとも歴史学者としてはやってはいけないことだと思う。二次史料を鵜呑みにしてはいけない。批判的思考は必要不可欠だ。『井伊家伝記』はわかりやすくいえば江戸中期に当時彦根の龍潭寺に名を奪われ、忘れかけられていた井伊谷の龍潭寺の祖山和尚が、井伊家にふりむいてもらうがために誌したはなしで、要するにお寺の手柄ばなしである。つまりそこには巧まれた利益を得る作為があり創作があることが明らかである。これを無視するわけにはいかない。さらに、井伊直盛の娘が次郎法師と名乗ったというのは『井伊家伝記』意外では確認されない記述であり傍証は得られない。また、次郎が井伊家の惣領名であり代々うけつがれ、次郎法師は直政の養母になって井伊家を救ったのであれば、直政が恩人であるはずの次郎法師と龍潭寺を手厚く保護していないのも不思議だしその後の井伊氏が「次郎」の通称を用いないのも了解できない。小和田氏の言葉を借りると、「バトンタッチ」があったはずなのだが、肝心のバトンははじめからない。だから渡されていないのが真実なのだ。 

○そもそも、通説である直盛の娘=次郎法師=直虎という小説的架構から邪魔になる新史料を批判し、まだ通説を覆すだけの有力な史料ではないと批判するのはナンセンスである。一度そのメガネをとって、直虎は男だという前提で新史料をみてほしい。直虎は男であるから、新野の甥であり、関口氏経の息子であるという記述は当たり前のことなのだ。直虎は男であるから蜂前神社の文書に花押をかく。直虎は男だから今川から派遣され井伊谷での職務についたのだ。そこで改めて『井伊家伝記』を考えてみると、男であるという前提を覆すだけの有力な史料なのだろうか?『井伊家伝記』に直虎は登場しない、そして『井伊家伝記』は見本にしてもいい二次史料であり信憑性が薄い。執筆者と書かれた背景を考えるとさらに信憑性は低くなる。前述のごとく「次郎」が惣領名であると書かれているが、そのような事実はなく直政以降一切「次郎」は受け継がれていない。つまり間違った記述なのである。ここまで言うと明らかだが、要するに『井伊家伝記』には直虎は登場しないから、その井伊直虎が男性であるという新事実を覆すだけの力はない。

○小和田氏は新史料が書かれた時期は男性社会優位の時代であり、戦国時代の女性で活躍した人物をよく思わずあえて記載しなかったのでは、と驚くべき偏頗な女性蔑視論をのべているが、これは俗に「我が為」にする邪推論である。氏の拠り所である『井伊家伝記』も同時期に書かれたものである。不思議だ。一方は男性優位の時代に書かれたものだから女性が登場せず、もう一方では強く逞しき女性が大活躍をくりひろげて井伊家を救っている。皮肉ばかりいっていても仕方ないので、史料の考証に論点をもどす。守安公書記に女性蔑視の傾向はみられない。なぜなら戦国時代の有力な女性が登場するからだ。例えば今川の寿桂尼である。彼女は立派な女性であり当主代行も行っていた。もし守安公書記が女性の活躍をタブー視している史料であるならば井伊直虎だけでなく彼女のことも男性のように話をすりかえてしまうか、登場させなかっただろう。重ねていうが『守安公書記』中の発言者には新野左馬助の女たちの発言が多く、丁寧に扱われ重要視されてある。

○同じ二次史料でも優劣があり、守安公書記は彦根藩井伊家の一番家老木俣守安が江戸前期に執筆、そして当時藩の執権にまでなった木俣守貞が後年写記したものだ。悪気は毛頭ないが井伊家に深く関わりの無い静岡のお坊さんでは比べ物にならないことは明らかだろう。直虎という名前が出てこないことについては、新史料全体の人名表記が第三者的表現というべき「通称」で行われている以上これはごく当たり前のことで、実名(諱名)を系図でもないこのような記録史料内に記載することは普通にはないことである。まさかそのようなことがらを氏が御存知ない訳がない。つまり氏の評言は、あくまで歴史的知見に乏しい人むけにアプローチしたものであることが認知されるのである。次郎法師であれば次郎法師と書き、井伊次郎直虎であれば井伊次郎と書くだろう。しかし蜂前神社の文書のように正式な書類の場合は時に実名を全部書き更に花押をすえる。しかし花押は男性のみが使うものであり、女性は次郎法師の黒印状にみられるように印判を押すにとどまるのが通例である。但、次郎法師の黒印状にも不審がないわけではないが、ここでは長きにわたりすぎるので他日を期す。要するに本稿は余りにも杜撰かつ安易な氏の自己説の弁明が、歴史好きだが歴史にくわしくない人々にくり返され講演等で宣布されている様子なので、井伊としては他の所でもこの言説に及んでいるが、重ねて氏の誤謬をここに訂しておきたい。(尚井伊個人として、兼々小和田氏のむかしの戦国史に係る作物の成果には敬意を表しているものであることを氏のために申し添えておきます)

​(29.3.19)

井伊 達夫

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