井 伊 美 術 館
当館は日本唯一の甲冑武具・史料考証専門の美術館です。
平成29年度大河ドラマ「おんな城主 井伊直虎」の主人公直虎とされた人物、徳川四天王の筆頭井伊直政の直系後裔が運営しています。歴史と武具の本格派が集う美術館です。
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★新刊詳報
『井伊直孝軍記』いよいよ本番です!
私はいま彦根藩井伊氏の地位を確定し、不確実性の高い幕政初期を安定に導いた幕府元老井伊直孝について書いている。いわばこれは「掃部頭」を創始した井伊直孝一代の軍功記であるが、一般にありがちな「何々公」づくめ、お芽出た尽しの「御家御祝儀譚」ではない。生存のため血の上に更に何重もの血を重ねた惨劇日常の記録である。どこまで真物(ほんもの)の史料を下敷きにして「真実」を描けるか、古記録に対して一歩も退かぬ姿勢で本稿に向かうつもりである。同時に幕末の「大老直弼」の続編もやっつけるつもり。史料の調査と採集にいつの間にか半世紀以上を費やした。これからあの山もこの山も越える所存です。「井伊直孝軍記」序に添えて。
令和八年五月十一日

かく
迹を蔵(かく)した幕初の巨人 井伊直孝
勝海舟の「氷川清話」か何かで、海舟がホントの大物はその行跡をかくしているから表へは出てこない——というようなことを書いていた記憶がある。これは記憶違いかもしれないが海舟の右の言行録のようなものを二十歳こえた頃に読んで目が開いたような印象をうけた。そのあとは海舟の言説をいろいろ探し求めてノートに書き留めたりした。暫くしてかれの言行には一種の虚連(ケレン)、ハッタリのようなところがあることに気付いてそれから「海舟教」から解脱するようになった。しかし、それでも冒頭に掲げたかれの警句だけは八十をこえた今も胸中に、明確な響きを以て捺されてある。海舟の言がなぜ左様に自分の心にのこったのか——。それは現実的初代根藩主ともいうべき井伊直孝の行蔵に海舟のことばが符節を合わせるように私の心に嵌り来ったからである。
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井伊直孝 大坂夏の陣所用具足

一昔前の時代劇、主にそのイメージは「東映」がすぐに泛んでくるが江戸初中期を扱った映画で幕府重役などが登場する場合、出てくるのは松平伊豆や土井利勝、酒井讃岐あるいは柳沢吉保などが殆どで、私の知る限り寸景としてでも井伊直孝が登場したのは「黒田騒動」を扱ったもの(正確なタイトルは忘れた)ただひとつである。直孝役は吉田義夫という、大抵の東映時代劇で悪役専門でやっている俳優であった。私は彼には悪いが、この役者では「井伊直孝役」を演技することはできない——と不満いっぱいであったが実際の映画をみてみたら黒田家の処分を決める幕府重役の会議に直孝が登場するくらいのことで、いずれにせよ井伊直孝役はチョイ役で終わる感じのものであった。アレコレ云々するほどの役廻りではなかったが、吉田義夫が直孝を演じること自体が気に入らなかった。考えてみれば当時既に井伊直孝ファンであったわけである。この映画のこと、うちの学芸主任に調べてもらったらこの映画は内田吐夢(代表作に中村錦之助主演の「宮本武蔵」がある)監督作品で私が中学一年の時のことである。
その頃既に彦根開創の井伊直政や直孝については一知識を得て一家言吐く程度の知識はあったらしい。
因みに現実の黒田騒動は、筑前黒田家における君臣間の争いで、重臣の黒田忠之の非違を家老栗山大膳が幕府に訴えた一件である。この裁決に主任判事的な立場に立った直孝は名判決を下し、黒田家も家臣の栗山も共に両者相立つ結果を招来し、直孝の幕府宰相としての名声は確定したのである。
しかし直孝の幕政上における手柄は殆ど公になっていない。福島正則改易、慶安の由井正雪一件、それに前記黒田騒動、また島原の乱、その他幕初大名の取り潰し処置その他いろいろ。数をあげたら幕府の重要事件全てに関係している。それも主役的立場であったが、本人はそれを全て否定しているかのように、その行動の影をかくしている。これはやはり只者ではなかったことが思い知れるのである。
そしてその勤幕の実体は、直孝が寛永初期江戸へ赴任した後万治二年に死ぬまで国許へ帰ることがなかったことである。つまり直孝不在の幕政はなかったということになる。帰国して憩っている暇など、井伊直孝には生涯なかったのである。HP井伊直孝コーナーを特集するに当り一言——参考までに。——
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井伊直孝のプロフィール
ここには「井伊直孝のプロフィール」と題して直孝書状のごく一部を紹介する。彼の父直政は麗筆といっていい見事な書風を持ち、幕末の大老井伊直弼は一種の気韻と風格のある達筆だが、私はこの直孝の書風を歴代藩主中最も好ましいものに思う。
直孝の字が達筆だとはお世辞にも言えない。「直孝生来悪筆なり——」とどこかの古書にも書いてあった。しかし、この豪放闊達な字のサマは、彼の頴脱した智能を包み込んだ度量の広い、スケールの大きな性格を彷彿させる。字の上手下手など問題外。がぜん坊主の墨跡など足元にも及ばぬ。なんといっても貫禄があるのだ。

![]() 直孝文書 1 | ![]() 直孝文書 | ![]() naotaka1 |
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![]() P1070638 | ![]() P1100605 |
井伊直孝所用甲冑
![]() 井伊直孝所用大坂夏の陣所用具足男山八幡宮奉納の具足 | ![]() 大坂夏の陣所用具足 | ![]() 井伊直孝所用大天衝脇立具足 |
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![]() 大天衝脇立具足 | ![]() 試し打ち兜 | ![]() 乱髪朱具足 |
![]() 伝・井伊直孝所用 |













