開催のことばにかえて

ドラマと史実のはざまで

                                                                                                   (平成29年1月31日)

 昨年末(平成28年12月15日)、井伊次郎(直虎)に係る新事実を記した直虎近縁関係の人々の聞き書きを記者会見で発表しました。勿論公表部分はわずかに三項目、今のところ指先でつまんだ程度のものしか呈示しませんでしたが、大反響をよびました。

 それは、いま物語などでいわれている、女性の次郎法師がのちに男名のり─井伊次郎直虎として変身、断絶に瀕した井伊家を守り、のち中興の英主とされる直政にバトンタッチしたという成功譚を根底からゆるがす内容だったからです。

 この新発見史料の中味は聞き書きばかりではなく、関ケ原や大坂両陣その他北条、今川、織田、徳川といった戦国末期の諸豪たちの手紙や軍制、事件などが詳細に記されたもので、中にはその原本史料が残存しているものも少くありません。つまり大変信頼のできる記録本(全十二冊、他見を禁じた秘記類)なのです。そして、その中で私が呈示した根本は、井伊直虎は女ではなく男であり、それも今川氏真から井伊谷に派遣された青年武将(重臣関口越後守氏経の子)だったということです。この井伊次郎直虎は井伊直政の命の恩人新野左馬助の甥でありました。新発見史料は、井伊家の筆頭家老で、左馬助の娘(娘は七人)を母にもち、更に左馬助の娘を義母に持った木俣清左衛門守安(真田丸寄手惣勢中第一に突撃して大功をあげた猛将─実の父は北条氏照)という、最も信頼すべき正義の将が歴史的記憶の忘失をおそれて書きのこしたものが原本です。歴史は述べても作ってはいけないもの、これを守安はしっかり守っています。

 そもそも、井伊次郎直虎を女とし、史料の欠如に油断して次郎法師に安易に直結させてしまったのはごく近年の学者さんのしごとです。そこに功名心や悪意はなかったのかも知れませんが、史的断定は控えるべきでした。述べたあと「断定」というある意味の作為をなしたわけです。勿論その歴史の錯誤は「既定事実」として継続されています。

  歴史が一部の権威者による一方的推測によって曲げて伝えられてはいけません。まして誤まった井伊家の真実をそのまま容認してはいけないでしょう。

私は今回の発表によって「説を述べて」はいない。書かれた、真実性の熱い事実を呈示したにすぎません。ですから、歴史というものが本能的にわかるひとにはわかる筈です。その意味で賛同応援してくれる人が日々ふえています。嬉しく有難いことです。

 

 ところでNHKさんとは古いつき合いです。彦根に住んでいた二十代の頃からかぞえると地方局もまじえて五十年以上、半世紀をこえています。

 今回大河ドラマ「おんな城主 直虎」も、撮影がはじまる前にチーフプロデューサーの方が丁寧に挨拶にみえました。史料も少く、のこされている話は殆ど伝説ばかりですから、ドラマは思いっきり空想のはねを伸ばして下さいとお話ししました。ですから、私の発見した新史料中の直虎と、ドラマの直虎とは全く関係のないことです。

 一部には、私がこのドラマのはじまるのをまって、史料発表をしたのだと、よくいえばまるで謀略に富んだ軍師のようにみる人がいるようですが、それは全く嬉しいような深読みの勘ちがいです。それならいっそのこと戦国時代に生まれるべきでした。

 ともかくドラマはあく迄ドラマとしての成功をのぞみます。しかし、史実はあくまで史実として関係者は

真摯にその開明に努力すべきだと考えます。

 私の発表に反対的な立場や地位にある人、あるいは狭量な一方的解釈しかできない人は、要らざることを

したように思うかも知れませんが、この時期にこのタイミングで出た史料は、一種この世に形をかえて現前した死者の霊ではないかと思います。本物の井伊次郎直虎の霊魂です。

 私は迷信は信じない、怪力乱神は語らぬ主義の人間ですが、この世にはやはり近代の科学や精神では測れない不思議があることも事実です。私の係る歴史の周囲にはそういう不思議がしばしばあります。要するにそれこそが「天」であり「命」であると思います。その天と命を信じて進むのみです。見守って下さい。

 

勘ちがいされた井伊直虎 

 

 戦国末期の遠江国井伊谷の井伊家に女傑が誕生しました。実は男か、女かもわからない。勿論、正確な名も生年もわかりません。

 彼女はおのが周囲の大切な人々、父や祖父、婚約者等縁族を次々と戦乱凶変に喪うという残酷な幼時体験の果て絶望、次郎法師と称して出家してしまいます。 この頃のち徳川四天王の一人となる直政は幼く井伊家は断絶の危機に瀕します。しかし井伊家の由緒と誇りにめざめた次郎法師は家名の存続と復興をこころざ

し、女ながら井伊次郎直虎と武将名をなのって活躍、井伊家を存続させ、成長した直政が徳川幕府創業の功臣として活躍する礎を築いたのです。以上が只今の大河ドラマ及び続々と発刊された「直虎本」の「女城主井伊直虎」大体の筋書、夢とロマンに溢れる成功譚です。

 ただしこれは小説やドラマだけのおはなしで、その範囲においてはたしかに夢がある楽しい物語です。

 しかし現実は大ちがいということがわかりました。私自身にとっても見つからなくてもよい史料が見つかってしまい、実は大困惑しました。なぜならNHKさんとは古い付き合いであり、いろいろな番組に出演や資料協力を致している間柄です。前項にも書いた通り当方のこの姿勢は今後も変ることはありません。しかしこれはドラマ以前の問題、また「井伊」の家の者として、また歴史に携わる人間として、知って知らざるフリはできません。これも時節因縁というより他ありません。井伊直虎は別人、しかも男性だったのです。

 この偉大なる勘ちがいはドラマ制作側には全く責任のないことです。原因はそれ以前、近年に発刊された直虎関係の地方史書にありましょう。たった一通しか存在しない井伊直虎名の古文書を、極めて簡単に次郎法師に結びつけてしまったところに、ロマンチックなまちがいが萌芽したのです。このままでは物語が事実のように勘ちがいされ、虚が実になってあやまりに尾鰭がつき、一般の人々に歴史的事実として定着してしまうおそれがあります。

 他見無用の井伊家極秘史料の発見によって、前例をみない勘ちがいとなりそうな「直虎物語」の真実をいくらかでもあきらかにしたいというのが末裔としての私の願いです。両井伊家とも養子継続となったいまこそ、聊かでも彦根士の血を承けつぐ私としては直政・直孝両公のもののふぶりを忘れてはいけません。飛躍するようですが、新撰組の近藤や土方が、最も激しく忠実に幕府のために戦った気持がよくわかるこの頃です。

主要展示品

鳥毛の棒馬印  家康や直政はもとより、真田信繁もこの英姿を認識した、井伊直孝先鋒第一将木俣右京亮守安真田丸一番駈けに携行した鳥毛の棒馬印。この馬印は養父土佐守守勝関ケ原合戦所用以来の遺品で井伊家の輝しい戦歴を語る生証人です。つまり東軍の要井伊家先鋒大将のシンボルですから、島津義弘や宇喜多秀家も認識しているかも知れません。わずかにのこされた鳥毛は慶長五年の秋、十九年十二月冬、わかっているだけでもこの二度の大戦の寒風霜苦に耐えて今に生きているわけです。 『難波戦記』には大坂冬役のところに、この馬印を押し立て活躍する木俣守安のことが記されてあります。

次郎法師(直虎とされる)愛用の鏡 紐座は菊亀甲亀紐、松に二羽の鶴を配した吉祥文様の鏡です。亀と双鶴が接嘴した図柄は室町時代の特色とされています。 (寄託調査品)

次郎法師(直虎とされる)直筆四神旗 中国古代の思想に端を発する四神は、東西南北四方の守護神として広く用いられ、朝廷での祭儀においても四神旗が掲げられた例がみられます。次郎法師(直虎とされる)は井伊家守護のため、本営の帷幄中にこの四神旗を備え置きました。北方の玄武に代わり、勾陳が配されています。(寄託調査品) 平成26年5月にNHK歴史秘話ヒストリア「それでも、私は前を向く ~おんな城主・井伊直虎 愛と悲劇のヒロイン~」にて紹介されました。

次郎法師(直虎とされる)記念贈遺 天正十年徳川家康は甲州若神子において北条氏直の大軍と戦いました。これを世に若神子陣といいますが、戦線は少勢の徳川軍優位の内に推移し、やがて北条側から停戦和平の提案がされました。この時、徳川方の初議の使者として選ばれたのが、井伊万千代直政でした。彼は心中勇躍しつつ万一の場合の覚悟をもって北条方に乗りこみ、無事大任を果たしましたが、その時鎧下着の内にひそかに忍びもって行ったのが、次郎法師(直虎とされる)より贈られたこの志津兼氏の懐剣でした。万一不慮の際には北条方の主な者をあたう限り斃し、直政自身も自殺するための必死の道具だったわけです。大志津独特の地刃の烈しさに勝るとも劣らぬ直政の気概偲ぶ貴重な史料でです。直政若干二十二才でした。ここから井伊直政の異数の立身がはじまったのです。  (HP別集井伊家史料文書類参照)

井伊城・井伊大明神遠江介共保公神像

井伊城・井伊大明神遠江介共保公神像

井伊城・井伊大明神遠江介共保公神像 像背に明応二年八月、井伊直氏寄進の銘あり。(平安後期作と伝承される井伊家最古の神像)

平成29年度 井伊美術館特別展 タイトル最終決定!

井伊直政と次郎法師尼

    -蘇った青年武将直虎-

時代の本流に押し流された女(次郎法師)と男(井伊次郎直虎)。いま同一人とされている時代のヒロインは実は別人であった。泰平の夢は浸る現代人の気楽な仮想を許さぬ厳しい歴史の現実が今ここに!!

                         

(平成28年11月16日)

彦根年代記

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