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『木俣土佐守守勝武功紀年自記』なる自伝記録
——擬書の造作とその意図についての考察——
​井伊達夫

​(四)

 終わりに本書の作者について推考したい。

彦根木俣氏は彦根藩中門閥の第一として繁栄し、代々「御城代」となってその権力を恣にした。「木俣武功自記」の末尾は

 

慶長十五庚戌二月吉日 木俣土佐守橘守勝(判)

 

となっている。守勝は慶長十五年七月に五十八歳を一期として京都に於て死んだ。「木俣武功自記」はその死の五ヶ月前に認められたことになっている。もちろん守勝自筆本ではなく、写本の形式をとっている。問題はその中で守勝が橘姓を称していることである。橘姓は木俣氏が後代に唱え出したことで、四代守長は「源」姓で宇都宮支族を称えていた。これを後代の誰かが橘姓に変改しているのである。

『国語碑銘記』では「源氏宇都宮支族」とあるところを後筆の墨線で抹消し「橘氏敏達天皇苗裔也」と訂書している。これは正書であった系譜を恣意的に改変し、天皇の裔として家格引上げの工作をした跡である。本書をもっと精査すれば新たな作為等も発見されるであろうが、今の処『国語碑銘記」が彦根木俣氏の正譜であることは信じてもいいと思われる。この書は稀覯本であって他所では見ない。

扨、これらの事柄を自家の都合によって変改したものは誰であるか。

井伊家では家臣に系譜を書継させて呈出させる作業を元禄以来、幕末に至るまで累年にわたって継続させてきた。『木俣家系譜』では9代守易で終わっているが、「侍中由緒帳」では11代守盟(後幹と改めるが、実はこれ自嘲の実名である。明治御一新になって何もかも変易して「城代家老」も昔噺となった。つまりただの「木の俣の幹」という自棄世外人を以て自らを任じたわけである。

木俣土佐守勝朱具足.jpg

井伊直政生涯の伴侶となって働いた重臣木俣守勝の愛甲である。胴は桶側胴であるが金具廻に銀覆輪を施し、銀の三巴紋(木俣家定紋)を打つ。また下散の裾板には包韋を施した上に、鍍銀の桜鋲を置いており、重厚入念な作域である。やや頭高の古様な頭形兜も時代観を表している。

​(『赤備え-武田と井伊と真田と-』2007年6月28日発行)より

木俣氏初代守勝から四代守長に到る迄はおそらく家譜に余計な手を加える自家忖度はないであろう。今問題にしている「木俣武功自記」が造られたのは同家が一万石を知行するようになってからのことで、家格が上昇した5代木俣守盈の時に擬するのが最も妥当と考えられる。そのほかやはりいろいろ考え来ると、守盈の次代に藩史料として最も重要かつ尨大にわたる記録類を写記した藩冊(本書記類は所蔵者である筆者によって『木俣記録』と名付けられている)を遺した木俣守貞の存在が泛んでくるが、守貞は服部南郭の高弟であったから、かかる擬書を述べ作ることはあり得ない。父守盈がこのような偽書に近い書き物をのこしていたとして、それを読んだとしても、光秀よりの刀剣拝受の一件の誤謬を見落とすことは余り現実的ではない。察するにここの所も守貞自身に刀剣趣味がなければ、守貞の読み落としも絶対的にはないとは言えない。一般的にいって「刀剣」や「甲冑」に対する興味や趣味がなければ、高禄を喰む家の有能な当主と雖も累代家蔵の武器類の由緒伝系全てを把握することは殆ど難しいことといってよい。

知行一万石の木俣家の蔵中には算え切れないほどの名刀凡刀類があった筈である。光秀より拝領の相州秋広在銘希少の刀剣が、或る時に於て、そのある時期の先祖の書物として「擬作」された先祖讃仰の書冊に「初代守勝は明智光秀に仕官していたが、その許をさるに当って種々の餞別を賜りその内には相州貞宗の脇差も頂戴した——と記してしまった——ということは起こり得る可能性として納得しやすい。とすれば、そこ迄考えてくると「木俣武功自記」擬作の作者は自ずと泛び上がってくると思われるが如何なものであろうか。現在となってはもうこんな詮索はどうでもいのかもしれない。まずはこの『木俣武功自記』が、光秀施与に係る真物の一刀剣の存在から擬え(なぞらえ)物であることがわかったという奇妙な帰結に至ったことが芽出度いということである。

 

(了)

令和7年8月10日

 

追記

明智光秀と木俣守勝に係る様々ごとについては、本HPにも既稿発表があるので御一読を希うところであります。

 

令和二年特別展「明智光秀とその周辺」基調随論

再び世に出た光秀愛刀「近景」

秘匿された光秀の由緒刀(秋広・近景をめぐって)— 贈答事情から窺われる明智光秀の人間性 ——

特別ページ:「明智光秀」

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