秘匿された光秀の由緒刀(秋広・近景をめぐって)

——  贈答事情から窺われる明智光秀の人間性 ——

(一)光秀遺刀秘匿の事情

 

 幕末に近い彦根藩で、井伊家及び家中所持の武器類を調査記録編纂し一書にまとめたことがある。そこには各家の伝宝というべき刀や鍔、甲冑や刀剣類の明細が図示されている。今では貴重な井伊家の武器類図典というべきものである。ところが、実はここには各家々にとって最も重要なものは意識的に除外して載せられてはいない場合がある。

 部外の人はこの図録史料が有ることも知らないし、仮に承知している専門家がいたとしてもそのような裏事情のあることは御存知ない筈である。

 では、なぜ最も大事なものは掲出されていないのか。そのわけは大略して三つある。まずその一つは、藩主の召し上げを恐れた。二つ目はもう既に存在しない。三つ目は当時の武家倫理に反する物件所持の露顕への恐怖。

 一つ目と二つ目はとも角、三つ目は当時の朱子学的儒教の馴致教育下における武家社会では、絶対的に犯してはならぬタブーであった。

 表題の二振りの刀剣はいずれも明智光秀所用の愛刀である。光秀は反逆者である。それも主信長を殺した悪逆無道、天道許されざる極悪人である。——と、江戸時代はみなされ、その名を口にするのも汚らわしいように侍たちは教育されてきた。つまり三つ目に該当する。

 井伊家の城代家老木俣家には上記二振りが一切外部秘で保存されてきた。勿論、所持を隠匿しての所蔵であったから、結構、その保持には歴代の根性が必要であったことと察せられる。

 藩主の口真似をするような家老筆頭の高位の侍が、光秀の刀を大切にしていることなどわかったら、もうそれだけでおしまいである。明智光秀同様、代々心中叛意を抱いて井伊家に仕えている!その謀反の志の証拠は上記二刀の隠匿である。——ということになる。聊か大袈裟に思う人がいるかも知れないが、そういう時代であった。

 まず、以上で秘匿の事情はわかった。ではなぜそこまでして伝持してきたのであろうか。廃棄してしまえばいいものを後生大事に!……と現代の我々が思うのは尋常であろう。暮夜ひそかに琵琶湖に放りこんでしまえば一件落着——だ。ところが、木俣氏はそれをしなかった。ここに「明智光秀」という人間を考える重要なヒントがある。