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近頃、来年の大河ドラマに備えてか、明智光秀に関する資料の取材が増えてきた。そして必ず訊ねられることは光秀はなぜ謀反したかということである。
真実のところは、光秀本人以外にはわからない。後代の我々はのこされたもろもろの史書類の内から良質な史料を選び出し、それによって光秀の心中を忖度し、その行動の事実を考えるしかないのである。
しかし、その選択と考証は容易でない。良質な資料となると、実は数は極めて少ないのである。今後、光秀紹介本が俄かにふえることになろうが、信用できない俗書を史料的に援用した興味本位の伝記類が氾濫しないことを願いたいものである。
光秀が古典的教養人であることは既によく知られている。戦国武人中有数のインテリであり、そのゆえに信長に重く用いられてきた。その上に武将としても一流の才智を具えていたことは、かれの南丹経略をはじめとする戦歴をみれば瞭然としてくる。
織田家中有数の宿老としての地位は我々から見ればゆるがない約束されたものだとも思えるのだが、それは甘すぎる将来観である。信長の家中には功成り名遂げた末の御隠居など一人もいない。織田家における戦国の現実は、大変に厳しいものであった。
