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第一章 稚きころ
​ー弐ー

 小学三年の頃に転校して隣郷の村に住んだ。生活環境が一変した。幼稚園入園の時でも箸がちゃんと握れなかった(同じ組の園児の前で、母が、この子はまだお箸も握れない子で……、と情ない断りをいっているのを、もうひとつ情ない思いで聞いていたおぼえがある)ほどの遅れた過保護の私である。田舎での暮らしはそれは過酷なものであった。一応の町暮らしが一挙に藁葺きの田舎暮らし。環境は激変し寝食ガラリと劣悪、荒涼たるものになった。当座ほとんど絶望した。

 

 希望のない中で生きるにはどうするか。とにかく今日一日をすませる。明日もまた明日一日をすませる。一日、一日と念じて生きる。そのよすがとなったのがヨロイや刀への思いだったといえば話ができすぎるが、嘘でもなかった。

 

 そのうち環境になじむには、ムラの悪ガキ連と同分子にならなければならないということに気付いた。「キミらとは違う」というような態度をとって、かれらに異端視されたら生きる余地はない。

 悪ガキといったところで、当節のように人命を損ったり、強盗をしたり等という様なタチの悪さはない。

 未熟な柿や梅の実の早喰い競争(これは時に他人の家の成り物をも含んでいた。家の人も多少の悪戯は見て見ぬフリしてくれていた。)隣村の悪ガキ連との喧嘩ごっこぐらいの可愛いものであるが、青梅には慣れていないので、これまた尾籠なハナシ、たちまち水様便、胃腸をこわしその惨状たるやとても名状できたものではなかった。それでも病院の世話にはならずにすんだということは、それだけ若く元気だったということだろうか。

 

幕末以来生き残りの彦根藩古老達と井伊直忠伯(前列左から三人目)。伯の右直愛、左直弘(正弘)の両氏、直弘の左石黒誠二郎、直愛の右高橋敬吉、後列左より島野雅五郎、西尾某、中村元磨、大久保員臣、磯貝米吉、高橋要(於井伊家別邸彦根浜御殿―筆者蔵)

井伊直忠と旧臣たち

前列左より大久保員臣、大久保章次、井伊直忠伯、三居満一、島野雅五郎、宇津木三四郎、後列左より二人おいて舟橋元永、中村元磨、村田辰三、加藤勇馬、野田熊三(於彦根玄宮園―筆者蔵)

 ヨロイばかりではない。カタナにも劣らぬ興味があった。しかし、現物には縁がなかった。幼時に、朱の革の鞘覆いに朱の柄袋をかけた長い刀を母が出しているのを数回見かけたことがあるが、カタナというものに興味を抱くようになってからはお目にかかったことがない。人にやったか処分してしまったのか。今にして思えば、あれは寸延びの脇差であったと思える。赤装の防装具がついていたから、おそらく先祖にかかわる遺品であったのだろう。

 

 現物がいかなるものか。間近にカタナというものを見たことも触ったこともないから、何もわからないけれど、おおよその形態は時代ものの挿絵やマンガで知ることができた。こういうモノが欲しいけれど、どうにもならない。

 

 彦根にいる頃、母に買ってもらった玩具のカタナを持っていた。その頃はまだ危険物に対する認識が甘く、四〇センチほどの刀身は金属でできていた。黒茶の鞘に金銀粉がふりかけであって、鍔があり、糸巻きの柄がある。一人前の格好をしていた。

 

 田舎ぐらしの中で、このカタナが私の最大の宝物になった。同じ村の三年程先輩のいわゆるガキ大将――かれは背が高く、ちょっといい男で、振舞いが格好よかったように、その頃の私には思えた――に辞を低くして――貸してくれ、といわれたときはいいようのない優越感にひたることができた。オモチャの刀も、かれがズボンのバンドに差すと格段上物になって光っていた。

 

 田舎にいても、母の親戚や知人はみんな彦根にいるから、何かにつけ彦根へはよく行った。はっきりしたことはいえないが、彦根の市立図書館にあるヨロイのことを知ったのは、この頃のことではないかと思う。図書館は現今の場所ではなく、四番町といったか、本町といったか、これもまた頼りないが、市の中心である銀座街に近く、すぐ隣りに税務署と「下の市場」と通称した公設市場があった。

 

 ヨロイは彦根の赤具足で、木の枠で組んだガラスのショーケースに収めて飾ってあった。初めに見た頃は、館を入ったところの左手、児童館の入り口の横にあったが、いつの頃からか二階の踊り場の隅に置かれるようになった。

 

 飾ってあったと書いたが、これは余り正確な表現ではない。まずショーケースが小さい。ヨロイを飾る場合、いかほどの容量がいるのかを知らない人の製作である。木枠の周囲四辺と天井はガラスが嵌め込まれてあり、前面だけ収納取出しできるよう開閉可能な蝶番付きの扉仕立てにして鍵がかかる仕組になっている。

 

 この内へ具足櫃を入れ、その上に十字に組んだ木の飾り台を置き、ご本尊の具足を飾る次第となる。しかし、ケースが小さいものだからご本尊も堂々とした姿形にはならない。肩と首がつまって、上から何か強い庄力でもかけられたように、やや前のめりにひしゃげたようになっている。

 

 しかし、その頃はそんな批評眼があったわけではない。ヨロイはおよそそういう具合に飾られるものだと思っていた。いやむしろ、駅前のクリモトの飾り方(これもまた異なった意味で雑であった)よりも、やや奇形的なこの飾り方にいつの間にか一種の安堵感といっていい親しみを抱くようになった。

 

 市立図書館の赤ヨロイは、その頃クリモトにあったいかなるヨロイよりもはるかに高級品であった。つまり、当時の私の見知した最高の具足だったのだ。それがいつも図書館に行けば常にそこにあるのである。心身ともに動揺しやすい不安定な日々を送っていたその頃の私にその変わらない安定した存在は一種永遠の確実性を感じさせた。

 体力には自信があり、棒を振り廻すのはうまかったから、一、二年する内にいつのまにか連中の主魁になってしまった。

 その頃から勉強はロクにせず、帰ったら、ヨロイや刀の絵ばかり描いていた。歴史が好きで、三上於菟吉の『上杉謙信』という小説を、母に小遣いをもらって近江鉄道の豊郷駅前にあった本屋で買った時は嬉しかった。ヨロイと刀と戦争場面の多い物語は、私にとってさまざまな武器武具を空想、あるいは推測させてくれる最高の夢の世界であった。

 

 三上の『上杉謙信』は一般の小学四、五年生で理解のかなう小説ではない。辞書もなかったから、読めない字はどうしたのか。もう憶えていないが、当時決して安価でなかったハードカバーのこの本(私の愛読書だったが、中学三年生の時小遣いに困って彦根駅前のトミタという古本屋に売ってしまった)は、ロビンソン・クルーソーの物語と共にしばらくの間唯一の愛読書であった。上杉謙信の名はどうして知ったのか、これももう忘却の彼方だが、おそらく、それより以前に何かで読んで知っていたのだろう。この本で、鬼小島弥太郎や鐡上野介、甘粕近江守といった上杉の武将の名を覚えた。武田方の典厩信繁や諸角豊後の名も同様である。学校の往き返りにも手から離さず読んで、何度も何度も読んで、合戦場面の描写はほとんど暗記する程になった。近頃懐かしくなって、古本市などでこの本がないか、結構懸命にさがすのだが、見当たらない。

 ヨロイの絵を描いてばかりといったが、現物のベースがクリモトの赤鎧だから、あとは全て『上杉謙信』からの想像である。今から思うと、上等のヨロイと考えた絵には草摺を二重、三重に垂らして描きこんでいた覚えがある。

 

 六年の頃には、諸大名の名前と、主な城下の地名はあらかた覚えた。算数は天才的に駄目なのだが、日本の歴史や武器のことになると抵抗なくアタマに入る。使い古されたたとえ方をすると、乾いた砂が水を吸いこむように――である。

 

 ある日の休み時間、ノートの端を小刀で剪り、領地の名前と石高、それに思いつきの兜を鉛筆で画いて級友数人に与えたことがある。その時、それぞれに私はこう口添えした。「……君、キミを大垣……万石の城主にし、この兜をやろう」

 初めはほんの退屈しのぎにやったのだが、これが意外に人気を博した。我も我もと紙キレを欲しがるのである。そのいちいちに兜の絵をかいて地名と石高を入れる。

 

「――同じカブトはひとつもないやろ」

 

 これが自慢だった。もとより兜の形式に対する充分な知識があるわけではない。しかしともかく、いろんな変り兜を想像して、次から次へと手渡した。

 

 不思議なことに級友たちは、少しでも高い領地と、カタチの奇抜なカブトを欲しがる。「――昔のショーグンも大名の領地を換えた。付き合いしだいでナ、領地を換えてもエエデ」

 

 この遊びはしばらく保った。気分がよかった。

 

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