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明智光秀の光と影

 

 

​〈2〉

                

 人間はおのれの将来を楽天的に考える人と、悲観的に見る人と二通りある。その人の年齢や健康状態が大きく影響するが、生来の質として、ネガティヴな人、ポジティヴな人はあるだろう。

織田家の有力武将であった柴田勝家や秀吉と比べると光秀はあきらかに後者の人生深刻派であった。繊細で多感であるから、人一倍周辺の物事を疑って考える。いつも気に懸ることは、主君信長と、おのれの同僚たちのくさぐさであったにちがいない。

 最も心配なのは信長の言動である。天才的であるがすごく不安定である。迅速果敢な判断で極めて男性的に振る舞う反面、怒りや恨みに対しては執拗かつ偏執的でいつまでも忘れない。優れた人にありがちな性格的両性具有である

つまるところ赫々たる戦果を挙げてみても、それは一旦のことで、明日のことはわからないのだ。保証の限りではない。戦国の武人というものはおおむねそのような理不尽を尋常として生きて行かねばならないのだが、光秀はデリケートすぎた。信長に使役されて東奔西走、息わざること飛蓬の如き歳月の上に、常に音もなくひたひたと自身に押し寄せてくる黝い不安の波がある。安眠の日々はなかった。

 

 信長がたとえ天下をとったとしても、泰平になった暁におのれが拠って立てる安心立命の地はあるのか。そんな約束はどこにもない。狡兎死すれば走狗煮られるのたとえもある。信長は臣下に対し、いつもギリギリ、瀬戸際まで身命を賭した仕事をさせる男である。生涯締めあげても緩めることはない。

 そんな日々のとき中国征戦中の秀吉応援のため、信長自身が出馬することになった。四国征伐も視野にあったから、極端にいえば信長は本拠の京、近江を当分の間カラにしてしまうことになるのだ。更に柴田や丹羽、滝川ら織田の宿将連中はみんなそれぞれの戦いのため遠征中である。不思議な権力の空隙、エアポケットに信長自身が包まれていることに何と信長自身が気がつかなかった。実に兵法上の死地であり、信長は破軍星の剣刃上に裸で座していたのである。


 

 

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