★しろあと歴史館(高槻市)企画展「天下泰平と高槻城」

当館も史料貸出・協力しています。

しろあと歴史館・今城塚古代歴史館

高槻城築城400年記念特別展「天下泰平と高槻城」

【10月7日~12月3日】

しろあと歴史館HPより(http://www.city.takatsuki.osaka.jp/rekishi_kanko/rekishi/rekishikan/shiroato/s_kikaku_tokubetu/1446785833115.html)

徳川の城郭と上方の築城 (第1会場 今城塚古代歴史館)

慶長5年(1600)の関ヶ原の合戦後、徳川家と豊臣家の緊張は高まり、各地で築城が行われました。慶長の築城ブームです。徳川家は上方周辺での築城を進め、豊臣家の地盤に迫ります。豊臣家が滅んだ慶長20年(1615)、つまり元和元年以降も築城は続き、徳川幕府は乱世の終焉に向けた体制を整えました。 数多くの城郭が短期間で誕生する中、築城技術は高度に発展し、工事には効率化が求められました、やがて徳川の城は、シンプルな中にも高い軍事性を示す縄張り(城全体の設計)などを実現します。 第1会場では、慶長という時代に築かれた彦根・膳所・亀山・篠山城、元和という時代に築かれた高槻・尼崎・明石・大坂城を中心に絵図や関連資料を展示します。

徳川の上方支配と大名たち (第2会場 しろあと歴史館)

慶長5年(1600)の関ヶ原の合戦に勝利し、事実上の天下人となった徳川家康ですが、自らの家臣たちを譜代大名として全国に配置するまでには至りませんでした。徳川幕府は、慶長20年(1615)、つまり元和元年に豊臣家を滅ぼすと、その地盤であった上方を支配するために譜代大名を配置していきます。元和偃武といわれ、目の前の戦は無くなる中でも高槻城などの築城を進め、やがて寛永という時代に上方を完全に掌握し、天下泰平の世の中を実現します。 第2会場では、関ヶ原合戦以降の徳川家と高槻との関わりや徳川の布石となった紀伊徳川家、松平忠明や戸田氏鉄、岡部宣勝、永井尚政、永井直清らの譜代大名に関連する資料を展示します。

会期

平成29年10月7日(土曜日)~12月3日(日曜日) 休館日: 月曜日、祝日の翌日 ※10月9日(月・祝)と11月4日(土曜日)は開館

開館時間: 午前10時~午後5時(入館は4時30分まで)