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​『野田浩子著 井伊家:彦根藩(家からみる江戸大名)』贈本をうけ
​思うことの草々
井伊達夫

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〈明智三尊仏〉

〈1〉

 

  去年のことになるが、頭書の本が、著者野田氏本人から贈られてきた。珍しい奇異なことだとみてみたら、到来した本の頁の間に印刷された一枚の文書があり、私の所蔵史料を引用したゆえの贈本であることが記されてあった。引用の箇所は井伊家第四代直澄の大老拝命の史的根拠を、私の文書に拠ったからであるが、その詳細は『新修彦根市史』の巻六第129号——とあるだけで、原典所蔵者の如何は記されていない。この点もいわばいかにも愛想がなく、史料所蔵者及び一般の読者には不親切である。もしこの項を本気で検索しようと思うと、当該箇所を載せた『新修彦根市史』をもっていないと駄目である。一般人は関係する自治体の本格的な図書館にでも行く他ない。つまりかれらにとっては、この史料のまことの所在がわかりづらいのだ。その他著述者の気配りについても改められて然るべき箇所は少くないと思える。しかし、このたびはそのことについて云々することはしない。問題は別の所にある。

 

   この人は以前彦根城博物館に勤めていたことがある。私の記憶の中では同所勤務者の中では「新参」に属する方で、つき合いというほどのことは殆どない。けれど、その殆どないという数少ない係りの中にある野田氏の印象は決してよろしくない。その原因の大なるものというべきものは、他人の所蔵になるものの「史料」の取扱い方にあった。

たとえば貸与した展示史料の所蔵者名をあえて省く。これは展覧会に当って、展示の位置や扱い、それに図録の取り扱い上などで必須の義務的行為なのだから、所蔵者の名前の提示を「忘れました」などという不念の事故は、まずあり得ないといっていい。否、左様なことがあっては展示責任者としての資格を問われる大問題だ。ゆえにこのことは「故意」と考えざるを得ないのである。

 この件に関しては後日、彼女の上司や本人からの詫び状が届けられた。もう昔のこと故正確な記憶がないが、この時は上司の方が直接持参されたと思う。本人は手紙上の詫びだけであったと思うが、ことは複数回なので一度くらいは本人も来たと思う。いずれにせよ上司たちの苦労を察して、それらのことは一応了として、それですませた。なるだけ寛大な処置をとったのである。しかし、このようなことは前記の如くその後も続いて、一度きりで終わらなかった。史料の引用時における出処や蔵者の明記が曖昧で不確かなのは、その時気分の一種気まぐれのようにも思われる。

  

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