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第二章 「彦根時代」
​—弐—

 関ヶ原の資料館をみてから、仕事のかかわりでしばしば大垣や岐阜方面に出張することがあった。繊維の卸し関係の仕事で問屋まわりがすむと、近くの骨董屋をまわるのが楽しみであった。

 尾崎士郎の小説「篝火」を読んでから、かねて大垣城を是非みたいと思っていた。美濃の戦国史上重要な地点に位する大垣城だが、城そのものは残念ながら再建の現代建築で、史的に感動を覚えるところはなかった。小説の導入部分で使われている関ヶ原合戦の絵巻が見られたのがせめてものよろこびであった。

 大垣の駅前におじさんの経営する古物の店があって、たまに甲冑が飾られていることがあった。甲冑はいずれも江戸中期以後のもので、惹かれるものはなかったが、某日大きい仏像を持っている人がいるというので、案内してもらった。私は甲冑刀剣武具類が好きであったが、仏像にも興味があった。ここからはなしは脇道に逸れる。

 持主は地元の会社を経営している六十歳台の小肥りの人であった。座敷とおぼしき部屋に背の高い立像と、等身大の座像の二躰が置かれてあった。いずれも木彫で、まるで墨を塗ったように真っ黒な姿をしていた。

 いかにも田舎出来の作品で、背の高い方は法隆寺の何かを写したものだと持主は自慢したが、私は座像の方に興味をもった。像容からみて阿弥陀如来、作られたのは江戸前期とみた。話をしている内に、どうやら売りたいらしい。部屋が狭くてジャマになるという。紹介のおじさんを介して持ち主とおやじさん互いの駆け引きがはじまった。どんなヤリトリをしたのか記憶にないが、途中、「やっぱ、売るのはやめた」とか「そうですか、ムリならシッポを巻いて帰りますワ」とかの差し引きの繰り返しで、手にしたバックを肩にかけたり、靴をはきかけたりのすえに、結局話はまとまった。当時、乗っていたハイルーフのくるまに漸々の思いで乗せて帰った頃は、もう日附が変っていた。垢抜けしないが大きい仏像がはじめて己がモノになったから、「我がホトケ尊し」だ。その頃新築したプレハブ住宅の座敷に飾って朝夕、眺めて楽しんでいた。

 気に入って眺めているうちに、川越の骨董屋のOさんというのが聞きつけてやってきた。買いたいという。暫く無視していたら何度も言い寄ってきて、終いに口説き落とされ、如来さんはOさん方へ嫁入りしてしまった。お金での売買ではなくヨロイとの交換であったと記憶している。驚くべきことがおこったのはそこからである。

 

 半年ぐらい経ってからだったと思う。ある日全く面識のない三人の男性の訪問をうけた。いずれも中年・中肉中背、何もかも「中」附きのおじさん連中で、いかにも実直そうな鄙の紳士たちである。かれら「中」づくしのうちのひとりが次のようなことをいった。

 一年ぐらい前から、私共の村に悪いことばかりおこる。怪訝なので町の方の易者に占ってもらったら、村の背後にある山寺の古い仏様を売り払ったから、その祟りであるという。くわしいことは忘れたが、佛様は無住の寺にあって、村の共有財産であったのかも知れない。古いムラにはよくあることで、仏様は江戸ではなく室町時代以来のものという。前の持ち主はむかしから持っているようなことをいっていたが、実は最近手に入れていたのだ。私の時代鑑定は厳しすぎたわけである。

 そこで売り先をまるで捜査するように辿ってきた結果がムラの代表三人の今日の訪問となったわけだ。

 私はOさんのことをいって、譲渡ずみのことを話した。

 その後のなりゆきはOさん曰く。

 私はもう売っ払っちゃったあとで、かれらに私は話しましたよ。売り先の人も、あとで聞きましたが手離したあとで、そのあとのことは私は知りません。サァ、どうなったですかネェ・・・。

 脇道のはなしはそこまでである。こんなことを半世紀以上たった今もときおり思い出す。祟りはなくなったのだろうか——と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 岐阜では、駅前の大通りを少し行った右側におばさんの経営する古物店があった。狭い間口に新古とりまぜて、いろいろな小物類が数多くおかれていた。古物愛好家はこのような雑然とした店に入ると、何か掘り出し物に出逢えるような幻想を懐く。俗にいう夢があるというところである。私は某日ここで朽ち錆びた赤の頭形の兜と同色同然の半面頬をみつけた。値を聞いたら叶わぬものではない。頼み込んで三ヶ月位の分割にしてもらって手に入れた。毎月の出張と、その兜との再会が楽しみであった記憶がある。今にして思えば、まるで赤い兜との清純なデートであった。

 

 いうまでもなく、岐阜は戦国の雄織田信長発展の地である。その町にある古武具類は、全てにその時代の色を帯びたまま遺されているような錯覚を私は覚えた。某日、Sという武具店の店頭に古い腹巻が飾られてあるのを偶然みつけた。腹巻というのは古甲の一種で、背中で引き合わせて胴を締める珍しい形式の胴ヨロイで、私が目にしたのは室町の古色蒼然とした革威のみごとなものであった。ウィンドウのなかの古い腹巻が占めている、その空間だけが一種異様な圧力となって私に迫ってきた。慄えるような迫力があった。これは美濃の古豪土岐氏ゆかりの品かも知れない!

 どのみち値を聞いたところで当時の私の懐具合では買うことはできないことがわかっているから、通りがかりに目におさめただけであったが、いつか、天運が巡り来ることがあれば、このようなものを我が手にすることも夢ではないのダ——と自らを慰めた。

 後年しばしば岐阜を訪れて、いろいろなヨロイやカブトを目にし、また買うようになるのだが、そのスタートラインが駅前のおばさんの店の赤ヨロイや室町の古腹巻との叶わぬ夢の出会いであったろうか。

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令和3年 9.9

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