念のため改めて同じようなことを・・・
新史料『河手家系譜』発見に因んで
今回また井伊家重臣家の家譜から井伊直虎に係る新しい記録が発見されました。井伊主水佑に係る古い不慥かなある記憶にはじまった発見です。このタイミングもまた偶然、まさに時節因縁によるものです。発表の経緯は既に発表の通りです。ここで改めて私の従前からの考えを言っておきます。
①NHKさんとは井伊彦根時代よりの古い交誼があり、現在もヒストリア他いろいろな番組に協力しています。この姿勢は何等変ることはありません。むしろ、史学的観点から現大河ドラマの創造の面白さに注目があつまることも、いいことであると思います。
②大河ドラマはあく迄ドラマ。虚構であり、史料発見とは係りのない世界のこと、楽しいフィクションの世界は大きくひろがるべきです。
③つまり、ドラマはドラマであるが研究者としての歴史事実はまた別のところにある。「歴史」はあくまで「歴史」でなければなりません。その点に於て次郎法師尼を井伊直虎同人としてしまった近年の史家の記述はまことに残念といわなければなりません。なぜなら、そこには史料的根拠も史的検証も存在しないからです。そしてただの思いこみとしか考えられないことが「専門史家」の言説であるゆえに恰も事実のようになってそのまま罷り通っているという現実です。史実というものをまっとうに研究解釈するレベルの問題ではありません。ただこの上は「直虎」をごり押しでもいいともかく女性にしておきたい、しておかねばならない――という一事だけがあるのでしょう。関係社寺の「次郎法師は直虎のことである。次郎法師は女だった。だから直虎も女性である」というような宣言もまた甚だしく幼稚です。何等史実に拠るものではないのです。その拠るところの核としている史料は「信憑性」に問題がある「井伊家伝記」と同じく論者(後述野田氏)によって史料的価値の低いと審定された寺伝書記類―「お寺の伝記」という狭い領域に於て有用化されてきた書き物たちである。作為と誤伝による史料の信憑性の限界が指摘されている『井伊家伝記』(彦根城博物館研究紀要2016(第26号)野田浩子氏論文「「井伊家伝記」の史料的性格」)にさえ直虎は全く登場しない。次郎法師=直虎は平成になってからの附会の説です。歴史を愛しこれを研究する人は創作的な事実のすりかえに心しなければなりません。
今後も引き続いて当HP上で「井伊直虎」論をのべ、あわせて従来通り井伊家に限らない歴史と武具の研究を続けてゆきたいと思います。「井伊直弼史記―若き日の実像」―遅れていますが、あと一息というところです。御期待下さい。