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新史料からの特報④三人衆の真実他

  • iimuseum
  • 2016年12月12日
  • 読了時間: 1分

○井伊直政の家康御目見えの手配をしたものは通常いわれている人々ではない。その節の取次は本多平八郎忠勝であった。

○直政の母の兄である奥山親秀の息子六左衛門朝忠が、直政の近習として召し抱えられたとき、直政は朝忠に対し母と絶交する誓紙を書かせた。その裏には悲劇的な直政の母の人生がかくされている。

○井伊谷三人衆―近藤、菅沼、鈴木の三人は一般的には井伊家の味方のごとくに記されているが、決してそうではなかった。たとえ一族であろうと隙のある所へはつけ入る―これが今も昔も変らぬ人間世界の約束である。まして戦国争乱のさなかである。井伊谷三人衆が悪かったわけではない。しかし井伊直政はさすがに彼等を快く思っていなかったから、何事おいても辛く厳しく当った。鈴木を除く二人はやがて直政のもとを離れる。特に近藤石見守は直政生存中は他家への奉公を構われどこへも仕官が叶わず、家康さえもこれを認めていた。家康のもとにある直政の力がいかに大きかったかはこの一事だけをみても十分理解される。勿論鈴木も直政歿後家中で事件をおこし井伊家を追い出される。

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