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第一章 稚きころ
​ー伍ー

①新諸国物語「笛吹童子」「江孔座」の時代

 ここで「時代劇は東映」一という、キャッチフレーズで戦後の時代劇をリードし、憧れのスターを次々と生み出した東映。その俳優さんたちのこと思い出すままに書いてみたい。鎧や刀への憧れから、歴史へ興味を持つようになったのも、考えてみれば少年時代にみて喝采を送った東映の時代劇に始まると言っても過言ではない。

 幼若の頃のいわば生活の伴侶となってゆく東映時代劇とのはじめの出会いは笛吹童子あたりから始まる。これは「新諸国物語」と題して毎夕刻15分程、NHKのラジオで連続放送された冒険ドラマで、北村寿夫原作、福田蘭童音楽であったが、このテーマ曲、ヒヤラーリ ヒヤラリコ~で始まる歌が好きでできるだけこの時間は聴き逃さない様、外で遊んでいる時は近くのラジオのある家に寄せてもらって、玄関口で頼みこんででも聴くように頑張った。

 このドラマが評判がよく、やがて映画化されて大ヒットすることになるのだが、その主演が中村鈴之助であり、東千代之介、そして脇の主役が大友柳太朗だった。

 

 新諸国物は「笛吹童子」のあと「紅孔星」と続き東映時代劇の記録的大ヒットとなった。この二作の成功で中村錦之助や東千代之介は一躍スターダムにのし上り、我等少年の憧れの的となった。腕白坊主は勉強などそっちのけ、みんな錦千代が憑依して、森の中、林の奥を枝木の木刀をもって剣戟奔走した。

 映画中の悪者や仮想の敵を拵え、夢想する。小刀で指を切ったり、転んで膝小僧を擦りむいても、流れた血は全て正義のためのものである。意気は尚昂然たるものであった。

 しかしグループで笛吹童子の真似事遊びをする場合は、先輩年長の奴が主人公になって、自分達後輩はワキに廻される。それでも、その役に徹して励むのであった。

 その頃、少年王者真吾という山川惣治の冒険絵物語が例の鉄腕アトムと共に少年雑誌の人気連載ものであったが、ガキどもの我々にはアトムより「真吾」の方に熱中した。理由は簡単であった。「しんご」の真似は山川草木が友である。しかしアトムに化身することはむつかしい。ワラブキの屋根から飛んだら死ぬか、大怪我をする。

 この「少年王者真吾」では主人公真吾が危なくなると必ず、スフィンクスの仮面をかぶった奇怪な男が、亀の甲を研ぎ光らせたような装甲車に乗って、「アメン、アメン、アメンホテップ!…」などと叫びかつ呟きながら助けにくる。実はこの男こそ真吾の実の父親なのだが、この親父が助けにくるときの姿で一等記憶にのこっているものがある。

 それはかれの着用しているマントだ。旧式のワーゲンを大きくして装甲したような車の前頂部が戦車のハッチのようになっていて、そこからスフィンクスの仮面をかぶった男が顔を出している。顔だけではなく背に羽折ったマントも飛び出し、疾走する風にあおられ、鮮やかに後方に翻っている。このマントの格好である。私にとっての古い黒マントは、恰も劇画中の真吾の父がつけているマントに同型同義の品であった。少なくとも心象的には。

 村の鎮守の神社でいつだったか人だかりのする時に多分村祭りだったのだろう、このマントに、刀を差して遊んだ。石灯篭や太い木の幹にかくれたりして、本人はすっかり劇中の人物である。追随する仲間も何人かいて、なかなか気分が良かった。

 このときなどに腰に差していた刀というのが、当時の私の宝物の第一であった。一通り拵えが完備して刀身四十センチ程、目貫は押出のブリキ、鐔は鋳物、刀身は何か知らないが光った金属であった。当時の男の子のオモチャとしてはなかなかのものだ。そう栗形に下緒もあった。

 これが彦根のオモチャ屋にはあったが、田舎にはなかった。周囲の憧れの的だ。学校から帰るとすぐにこれをズボンのベルトに差して神社の森に出かける。森は木や枝葉を利用して、大きな木のもとにちょっとしたヒミツの塒(ねぐら)を拵えてある。一人の時はそこで昼寝したり本を読む。本は『ロビンソン漂流記』か『上杉謙信』。至福の時である。風があると木々が呻くが傍にカタナがあるからこわくないし、淋しくない。

 この神社には古い庭園があって、名勝か何かに指定されていた筈だが、その頃はいささか荒廃気味だった。手入れされてない分、むしろオモムキがあったといってもよい。池の中の小島に渡ってチャンバラなどはもちろんだが、夏はこの池でみんなと泳いだ。随分濁った汚い水であったが、誰もが平気だった。数年前この村を偶然通ることがあり、神社の前に少し佇んだことがある。庭園はすっかり整備されて綺麗になっていたが、そこにはもはや、古代庭園の神寂びた有難さはなくなっていた。近頃、史跡など新に手を入れて整備されることが多いが、出来上ったのをみると“何や、こんなもんやないやろ”といった感慨をもつ。何か大事な魂が抜け出してしまっているものが多い。形骸化した標本ばかりというのはどういうことだろう。

 玩具の大刀も、よく出来てはいるがそのうち物足りなくなってきた。刀身はブリキのような金属を延べて作ってあるが、こんなものはイザという時(そんな危急があるわけがないのだが、あえて空想、設定するわけ)役にたつまい(むかしは子供のオモチャ刀の刀身に金属が使われていたが現在はおそらく禁止されているのだろう。大人の模造刀は別だが…)。金属刀身はムリでも、一撃したら敵が怯むような、頼りになる刀が欲しい。そこで工夫して拵えたのが竹鞘の刀である。径五〜六センチの竹を二つに割る。中の節を丁寧に削り鞘にする。これに枇杷の木を適当に削って刀身にし、柄も竹で作る。柄の部分は綿糸で下巻きにし、当時流行しだしたセメダインで接着、その上を藤皮で巻いて仕上りである。抜いて鞘へ収める気分がえもいわれない。鍔なしだからイメージはまるで上杉謙信の刀に変らない。これを児童服の背に負い、彦根以来の玩具刀を腰のバンドに差しムラの小径を闊歩する。まるでイカレているようなものだが、それでも歩いていると二、三の朋友がいつの間にか跟いて来て、森中のチャンバラごっこへと発展する。しかしスリルがあったのは夜だった。扮装は昼と変わらない。殆ど人のいないムラの畑中を走りぬけ、小屋に潜み、おさに身を隠す。一人で目にみえぬ敵や化物を想定して物語の主人公に化りきる。雪の降りしずまった夜などはわりと明るくてそれほどでもないが、森や竹藪が軋み呻く、秋の業風の夜はそれでもさすがに怕かった。

彦根東高等学校

​剣道部部長(初代)の頃

【続】

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